海浜鉄道日誌

谷村一太郎 意外なつながり

某所から原稿を依頼され、湊線百年史を再読していたところ、意外な歴史の発見が。

谷村一太郎。

大正5年から昭和11年まで、湊鉄道株式会社の社長を務められた大先輩です。

この方は富山県西砺波郡福光町の出身。

地元の中越鉄道(現在のJR城端・氷見線)に勤務後、当時の大株主だった藤本ブローカー銀行(転職し、こちらの役員をされていました)から派遣されての社長就任でした。

富山の鉄道から湊線へ。

意外なところでのシンクロに少々驚きです。(今まで気づかなかったのかよ、と突っ込まれそうですが)

この方は任期中に、常磐線との連絡設備の整備及び貨車直通運転の開始、競合相手だった那珂川汽船を買収などを敢行。

これらが功を奏して経営が好転、大正6年、湊線は初めて配当を行うに至りました。

さらに、地域の観光開発と連携し、まず磯﨑、次いで阿字ヶ浦へと路線を延伸、これにより観光鉄道として強固な経営基盤が築かれることとなりました。

経営改善、路線延伸、地域と一体となった観光開発。

私たちの先人は、地元のみなさんと”よそ者”が力を合わせて、今から100年近く前にここまでのことを成し遂げています。

先見性と市民力、そして”よそ者”としっかり協調できる調和力。

やっぱり、ひたちなか市はすごい。

3度目の延伸に向け、力が湧いてきた気がします。