競輪では、展開によって止むにやまれず先行しなければならない場合があるようです。
社会生活でも同じように、その時の事情によって思いもしない役が回ってくることも。
自分の社会人としてのこれまでも、展開の妙で大きく変わってきたことが思い出されます。
富山地方鉄道入社、鉄道部への配属、加越能鉄道への出向、そこで労組の執行委員から専従の執行副委員長へ。
また、万葉線と出会い、そのまま全国初の第三セクター鉄道万葉線へ転籍。
その実績を過大評価されて、ひたちなか海浜鉄道へ。
自分の意思だけで動けたのは、ひたちなか海浜鉄道への転職ぐらいでしょうか。
あとは、人材不足とか適任者不足とか新会社での経験者不足とか、乞われていったことばかりです。
自分のような若輩者を乞うということは、乞われた先の組織が決して盤石ではないか、なにかの先見性があったからだと感じます。
万葉線は開業から5年連続の輸送人員増と収支改善を達成しました。
ひたちなか海浜鉄道も、10年目の黒字化に向けて着々と歩を進めています。
富山地方鉄道労働組合は、自分を含め若手を起用し組織の若返りを図りましたが、その時起用された人材が現在、組織の中枢を担っています。組織を抜けることに自責の念がありましたが、それが大きな傷にならず、組織強化につながったことには、ほっとする思いです。そして長い歴史を持つ単組の底力にあらためて感じいります。
逆に、出向者(いわば外様)である自分を執行委員に任命、さらには分会代表として専従に送り込まなければならないくらい人材不足極まっていた富山地方鉄道労働組合加越能三分会は、その後結局本部専従者を送り出すことはできなくなりました。自分がいなければ、もっと早くそういう状況に陥ったことは予想されるとはいえ、ちょっと複雑な気持ちになります。
また万葉線も、ここにきて、北陸新幹線開業の追い風を受けることができず、北陸全体の鉄道事業者の中で一人負けの状態に陥っています。自分が残っていたらどうなったか、ということはあまり考えたくはありませんが、やっぱり気持ちは複雑です。
前置きがものすごく長くなりましたが、このたびやはり展開の妙で、ひたちなか市倫理法人会の会長の任を仰せつかりました。ひたちなか海浜鉄道を支える皆さんからは、本業以外にあまり力を入れないでほしい、という声も多く聞かれます。が、経緯はさておき、せっかくお受けしたのですから精一杯やっていくつもりです。そのなかで、組織と人材、倫理法人会とローカル鉄道、そして自分と携わる人たちにとって倫理法人会とはどう映るのか、いろいろ検証しながら役を担って行きたいと思います。とはいえ、井上茂徳や稲積秀樹が先行するようなもので、危なっかしいことこの上ありません。みなさんのさらなるご協力をお願いいたします。
(歴史ある一つの単会の死に水をとる役となるのか、無事1年の任期を務め後任にバトンを渡すことができるのか、それとも任期半ばでまた乞われて別天地に旅立つのか。現在は、神のみの知るところです。乞われるままに動いた自分の30年の社会人生活において、まだ任務を全うした経験はありません。)